うるさくないに越したことはない
「オレ、○○にはうるさいよ」
○○には映画や漫画の鑑賞するものをはじめ、ラーメンやカレーなどの食べ物、家電などもあるだろうか。
いわゆる”通”であることを伝えたいのだろうが、それに対してはタイトルの通りの感想を抱いている。
”通”であること自体は好きにやればいいのに、なぜうるさくしたいのか。甚だ疑問だ。
ただ、そのうるささをコンテンツ化するとたちまち「辛口評価」となり受け入れられる。
プレバトの俳句の先生もすごく失礼な言い方をすると「俳句にうるさい人」ではあると思う。
ただ俳句の良さを明確に表現するために、実績のある先生が作品に対して忖度をせずにスバズバ批判していく様が視聴者をカタルシスへと誘う。俳句の良し悪しが一般的には曖昧だからこそのコンテンツだ。
うるさい人でありたいなら目指すべきは辛口だろう。
ただ辛口はあくまでその辛口さを受け入れるフォロワーの存在が必要であり、辛口を自称しているだけではそれはただのうるさい人だ。
な~んて考えてたら自分の中のうるさい人が「悪いものを悪いといって何が悪い!」といちゃもんをつけてきた。
違う。「素直な感想を述べている人」と「うるさい人」は明確に違う。
うるさい人はなんというか「私はこの界隈に精通していますよ…」感がでてる。
あらを探したがる”通”といった印象だ。
その感じを出していないなら僕は文句を言わないし、好きにしたらいいのだ。
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お、うるさい人にうるさい人がなんか言ってら。
静かにすりゃいいのに。